小学生とタブレット端末

電車の中で、見た光景です。それは、まだ、身の回りの世話も、一人
では出来ないのではないかと思えるほど、幼い顔の小学校低学年の
女の子の手が、タブレット端末をもって、何か一所懸命操作している姿
でした。ちょっと画面を覗かせて貰ったんですが、なんとそれはさる予
備校のロゴマークが、麗々しく輝いている画面でした。

そういえば、その予備校は、小学校から一貫して補助教育を施してい
るので有名なところだったことを思い出しました。
ただ、最近は、一時ほどの勢いがなくなり、メディアへの露出も無くなり、
私の記憶から無くなりかけていた予備校です。

そんな予備校が、子供にも使わせている器材がタブレット端末だったこ
とは、ホームページを見て知りました。
小学生にタブレット端末で教育をすることが、果たして良いことなのでし
ょうか。機械に慣れ親しむのは、小さいほど良い???そんなことは無いと
思います。

プログラム化された端末なら、一貫した教育を施すのには大変に都合が
良いのは良くわかります。ただし、それは教育の大量生産側の論理であ
り、子供にとって良いかと言えば、全くの悪と決めつけたくなります。

何故悪なのでしょう。簡単なことです、答えは。
お仕着せのプログラムの中でしか、子供の知能は働いていないのです。
いえ、働け無いのです。
しかも、御仕着せのプログラムを作成した側のロジックしかそこには見るこ
とが出来ません。
プログラムは、依頼側の都合が優先された中身ですし、しかもそれを書い
たプログラマーも大人です。

本来優先されるべき、子供の自由な発想を引き出そうとなどと、これっぽっ
ちも考慮されていないのです。
土台、自由な発想を、固定されたプログラムの世界で発現することは至難
の業以外の何物でもないほど、困難なものなのです。

発想の飛躍を受け入れられるだけの器の大きなプログラムなど、この世に
は存在しません。
すべてのプログラムは、考えられる限りのケースを想定して、すべてを盛り
込めばよいとする風潮があります。

しかし、例外の例外まで考慮することは、まず不可能です。
そこには、自ずと限定された範囲が存在します。それがどんなに広く限界
を設定したところで、その限界を越える発想を受け入れることが出来ないこ
とは、少し考えれば誰でもすぐに分かることです。

タブレット端末の持つ先進的なイメージを良しとするのは、予備校に通わせ
る親向けのアピールの道具にすぎないと言っても構いますまい。
そこには、あざとい教育補助産業の競争の世界が先にあって、子供の自由
な発想を伸ばすという極めて基本的な教育の根幹を忘れ去った大人達の世
界が広がっており、子供はその犠牲者となっているのです。

体を動かしながらの基礎教育を施すべき時に、機械教育を選ぶ親は、いまに
子供から恨まれることは、必定でしょうね。

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