山田孝男伝説 その36

この記事のキーワードは、「敷衍」です。難読漢字ですが、「ふえん」と読みます。
意味は、意味の分かりにくいところを、やさしく言い換えて詳しく説明することを、敷衍すると表現します。
まさに、ふえんの意味を説明した上の一文のようなものを指しています。

山田孝男氏の優れた才能の中に、概念を分かり易く説明できる能力が有りました。
それは、何十人規模のセミナーぐらいなら、個人の資質による理解度の差を感じ取って、全員が回りくどくなくかつ明快で納得のいく説明を、いつでも行える能力です。

もっと分かり易く言えば、「先生は私のレベルに合わせて、難しい内容をかみ砕いて、話していてくれるんだな。」と参加者全員が感じるような話し方です。
これって、実際の場面を想定したら、物凄く難しいことだということが分かります。

目の前にある物体を説明するのならともかく、形のない概念論であったなら、個人個人の受け取り方ひとつでどうにでも解釈されてしまう恐れがありますし、受け取り側が持っている知識量によっても判断される内容が異なってくることは容易に推察でs来ます。

説明というものはそういった性格を持ったものだということを、、パソコンのインストラクターをやっているといやというほど痛感させられます。
しかし、「~その34」 https://15313573.at.webry.info/201807/article_29.html でアップした記事の如く、個人間の知識レベルの差や理解度の差を推し量って、すべてに共有できる空間の構築をしていたと思われます。

いや、むしろ、全員が理解できる共有空間を構築し、その中に参加者全員の意識を溶け込ませ、一時的に知識と理解度のレベルを均質化できたのではないかと思うことが、たびたびありました。
この手法は、其れこそ概念では理解できますが、どんな精神的な力場を創出したのかは、十分に理解できていません。

自分が以前に行ってきたセルフコントール技術を人に教える講座の中で、この手法に似せて場を作ることを試しましたが、それらしき反応はあっても、確固とした確信に至るほどの手応えを、約10年間110回以上行っても掴むことはできませんでした。

それほど高度な技術で作られた空間だったのです。
しかも、この空間の持つ実に甘美な味わいだけは、いまだに色褪せることなく思い出すことが出来ます。
やはり、伝説となるだけの技術力は桁外れだったのですね。

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