アドリブって何?

日常会話でも、頻繁に会話の単語に「アドリブ」が出てきます。
「アドリブが効く」とか「アドリブが効かない」とか表現していませんか。
この「アドリブ」って何でしょうか。

元々は、音楽の世界で自由に弾くことを指していましたが、それが転じて、お芝居やテレビのドラマでの撮影でも、台本にない台詞や動きを入れることを指すようになっていますね。
そして、いまでは、機転の利いた動作すべてに対しても、「アドリブが効く」の表現が使われています。

ジャズで言う即興演奏(=インプロビゼーション)は、これの最たるものですが、このレベルになると、一曲丸々即興の場合がほとんどですから、頭の柔らかさ・発想の豊かさ・展開力・応用力それにそれを体現できるだけの技術力が備わっていないと、十数分から30数分に及ぶ演奏には耐えられません。

では、ここで即興の反対に位置すると思われるクラシックに目を向けてみましょう。
クラシックは決められた演奏、決められた時間配分、決められた楽器と、雁字搦め(がんじがらめ)になったような音楽であると、子供の時は思っていました。

ところが、ある時ラジオでベートーベンのあの有名な「運命」の冒頭の部分を、7~8人の指揮者による演奏比較を流していた時が有りました。
そして、この時は「皆同じような演奏にしかならないはずのクラシック」の概念が、まさに音を立てて崩れ落ちたのを記憶しています。

これが後で知った「解釈」の差だったのですが、小学校から高校までの音楽の時間に、一度でもこういった比較をして、それを教えるのではなく分かってもらえるような教育をしたならば、頭ががちがちの子供はできてこないと思うんです。

教える側に、自由な発想がないのと、カリキュラムに余裕がないのが大きな要因です。
せめて、家庭レベルでクラシックの面白みを自然にわからせる工夫をしてあげてみてください。
子供は親の博識ぶりに目を瞠るに違いありません。しかも、情操が豊かになるのですから、一石二鳥です。

やっぱり、教育の基本は、真摯な態度の親から伝えるべきものなのではないでしょうか。

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