マグダネル F-15衝撃の日本デビューのころ

1976年入間基地で国際航空宇宙ショーが開催された時の記憶をたどるお話です。
当時の日本では、まだまだカメラの普及が低調でしたが、この年、キャノンがテキサスインスツルメンツ社の4ビットCPUを搭載した一眼レフAE-1を発売しました。当時としては画期的な高性能で、なおかつ、少し背伸びすれば買える値付けでしたので、爆発的に売れました。

このカメラを兄が購入したのですが、国際航空宇宙ショーにそのカメラを貸してくださいと願い倒して借り、いさんで基地に入りました。
このころは割と飛行展示エリアと見学エリアが近かったせいもあり、ヘリコプターの消火液散布デモでは、その散布した青色の液体が衣服に付いてしまうほどでした。
自分にとっての大問題は、兄から借りたカメラにその青い液体が点々と付着してしまったことでした。
潔癖主義の兄にカメラを返す時に「どうしよう」と焦りましたが、蒸発してしまうと色は消え、心配は杞憂に終わりました。

さて、このショーでのハイライトは、なんといっても建国200年記念塗装をした当時の最新鋭機であるグラマンF-14トムキャットとマグダネルF-15イーグルの飛行参加でした。どちらも自衛隊機にと猛烈な売り込み合戦を繰り広げました。F-14は可変翼を売り物に小回りのきく高機動性をアピール、かたやF-15は有り余るエンジンパワーにものを言わせた派手なデモ飛行を行い、会場に詰めかけた観衆を大いに沸かせました。

そして、いちばんの見せ場は、F-15の帰投時のシーンでした。
滑走路の半分ほどを残して機首を引き上げた後、70~80度と思えるほどの機首上げ状態のまま上昇を続けました。
その間も速度は上がり続けています。
ぐいぐいと高度を上げ、そろそろ肉眼で追いかけるのが困難なほどの高度に達しようとした時、ド-ンと衝撃波がとどろきました。
なんとヴァーチカルクライム中に音速を突破してしまったのです。
皆、興奮のるつぼに!

そして、そのF-15はいまだに自衛隊機のトップの座に居座り続けています。
40年も前の話ですが、飛行機の世代交代の遅さが、平和な時を過ごしてきた証明になるという事実を認識したエピソードとしてアップさせていただきます。

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