つづれ折りの坂道から

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zoom RSS 山田孝男伝説 その29

<<   作成日時 : 2017/08/26 00:56   >>

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奈良県の天川神社は、正式には天河大弁財天社と呼びます。
この神社の設立は非常に新しいのです。
しかし、いつの間にか芸能の神様なんて奉られていますが、真実は知らないほうが良いことがたくさん詰まった神社なんですよ。ここで、暴露はしませんが………。

神社の歴史そのものは室町時代にまで遡るようなことになっていますが、一時期は廃寺の憂き目にも遭っているのです。
それを、再建しようと立ち上がった人物がおりました。
その人物の思想を後押しし、自らの主宰する講座等で信奉者を集めて、天川神社の存在を強く地道に知らしめたのが、山田孝男氏でした。

それでも、宮司の放漫経営から、一時期存続の危機を迎えたこともありますが、支援者の債権放棄で何とか現在まで形を保っているという神社としては破格の場所であることは、一部のツウにはよく知られているところです。

神社が再興して、いわば新生「天川神社」の黎明期に、通常は修験者しか使わないとても険しく危険な熊野古道の一部を登ったことがありました。神社の奥宮にあたる1895mの弥山(みせん)山頂に上り詰めた後、、氏の瞑想講座が開かれました。
それは、まさに「弥山山頂のスペクタクル」と言いたくなるような貴重な体験でした。

そのキーワードは、「役行者・矢・アナハタチャクラ」です。
普段の山田氏の講座での言葉は、具体的な目標を鮮明にせず、森羅の有りようを平易な言葉で聞くものすべてが納得いくまで話すスタイルを取ることがほとんどなのですが、このときは全く違っていました。
眼光鋭くを地で行くようなギラツく体で、講話が始まりました。

それは人類の行く末を案じ、かつ、希望への道を説くもので有ったのですが、50名近くの参加者(5歳から80歳まで)がちょうど全員寝ころべるほどの弥山山頂というという特殊な場所で、かつ、別の峰を目指して数十分歩き、戻ってきたばかりの状態での講話はいかなるものに成るか想像できますか。
このときの山田氏のマイブームは、役行者であったことも今回の山行に大きく影響していました。

非常に日射しが強かったのですが、講話が始まると天頂に雲が出てきて、私たちの周りだけ雲の影に入り、そよぐ風と相まって、快適な空間が御膳立てされました。
ここまで、山田氏が力を奮ったとは思ってませんが、参加者の中にはそのように思い込んでいる方も多数いましたが、それは無理からぬことでもありますね。

続く

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